4.4. 説明対象の限定の仕方はいかにあるべきか
さて、次のような批判もよく耳にする。
(7) f. 生成文法の研究に対して、その分析で説明できない例を指摘すると、「それは今、問題にしていない」だとか「反例があっても理論そのものが否定されたことにはならない」などとはぐらかされてしまい、建設的な議論にならない。
この(7f)は、上で少し取り上げた(7e)とも関連している。
(7) e. 生成文法は、言語全体を見ようとしていない。都合のいい現象だけを選んで「美しい理論」を作ることを目指しているように思われる。説明できないことを次々に対象外に追いやって、「美しい理論」を作っても意味がないのではないか。
上で(7e)に関しては、対象を限ることそのものも、結果が「美しい理論」になることも、それ自体、批判の対象にすべきではないと述べたが、もちろんのことながら、単に都合の悪い例を無視して「美しい理論」を構築しても無意味である。では、科学的探究のために不可欠な「対象の限定」と単に都合のいい結果を出すための「対象の限定」はどのように区別できるのだろうか。
メカニズムの働きを調べるためには、入力したものと出力されたものとの対応を観察する必要があるが、言語の場合、上でも述べたように、その入力要素をコントロールするにも工夫が要り、そして出力結果にも、発話者の意図の解釈や世界に関する前提知識など、文法外の要因がいろいろ影響しうる。単語によっては、その機能が文法からくるものなのか、言語とは独立の知識からくるものなのか峻別が難しい場合がある。そういう単語を例文に用いて調べても結果が不透明になるだけなので、とりあえずは、そういう単語は作業から除外するべきである。そこで、(29)のような目安を仮定している。
(29) a. 文法の仕組みを調べるための材料となる単語を限定することは許される。
b. 1つの単語のある用法だけを限定して用いることは、その用法と他の用法との区別が曖昧でないときのみ許される。
(4)で示したように、文法とは、バラバラの語から文という構築物を作り出すメカニズムである。材料が限られていたとしても、それを使ってでてくる結果をまんべんなく調べることによって、メカニズムの働きの一端を明らかにすることができるはずである。もちろん、除外した語を永久に議論しない/するべきでないと言っているわけではない。文法の理解がさらに深まって、そういう単語を使っても混乱が起きなくなった段階で、あらためて利用すればよい。上の議論でア系列指示詞や対象物を指させる場合のソ系列指示詞を「除外」したのも、このような理由からである。もし、ソという指示詞の本質、もしくは、指示詞というものの本質をとらえるのが目的ならば、このような除外は許されないであろう。しかし、文法の仕組みを調べるという目的の場合は、別の話になる。
(29)の方針に沿っている場合でも、特に、その語/用法を材料から除外する理由が説得的でない場合には、(7f)のような批判が起こる可能性は十分ある。しかし、どういう語を除外し、どういう語を除外しないかという基準の見直しが必要である場合を除けば、その批判は、単に「高望み」の批判であると考えざるをえない。文法というメカニズムの存在を証明していくためには、一歩一歩確実に進んでいく必要があるので、現段階ではどうしても取り除けない要因をもつ単語は、使わないようにするしか手立てがないのである。用いる材料に偏りがあるために、メカニズムのある部分しか調べられないということもあるだろう。しかし、たとえ一部分であったとしても、文法というメカニズムが存在するということを示すことができれば、それは大きな進歩であり、それを足がかりにして、次の段階に進んでいけると考えている。
5. 終わりに
以上、生成文法がその実践として経験科学であるために必要であると思われる要件について述べてきた。結果的に、まだまだ発展途上であるという印象を持たれたと思うが、経験科学として成り立つ可能性があるということ、そして、そのための具体的な方策についても現在進歩しつつあるのだということが伝われば幸いである。
参考文献
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