連載第1回
 この「generalization を目指して」について
 0.きっかけに出会う
 1.目標
連載第2回
 2.思いつきを形にする
 3.反例を見つける
連載第3回
 4.generalization の言い方を吟味する
  4.1. 真偽疑問文/疑問語疑問文
連載第4回
  4.2. 「か」のある疑問文
連載第5回
  4.3. 間接疑問文
 5.まとめ
 6.generalizationの先にあるもの

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「generalization を目指して」
最終回
4.3. 間接疑問文

 また、疑問文全体を視野にいれるならば、「直接疑問文/間接疑問文」の区別も必要となる。これまでの例文はすべて直接疑問文であったので、間接疑問文の場合についても調べておく。ただし、「か」のない間接疑問文はないので、間接疑問文の場合は「か」のある疑問文だけを調べればよい。また、埋め込み文の場合は丁寧体が使われないため、普通体のものだけでよい。真偽疑問文が埋め込み文にあらわれるときには、普通、選択疑問文の形式になるので、ここでも「かどうか」という形で調べることにする。

(27) 埋め込まれた真偽疑問文(=選択疑問文)のテスト:
 a. 明日彼が来るかどうか知っています。 [動詞・基本形]
 b. 昨日彼が来たかどうか知っています。 [動詞・ タ形]
 e. この本が高いかどうか知っています。 [イ形容詞・基本形]
 f. この本が高かったかどうか知っています。 [イ形容詞・ タ形]
 g. この部屋が静かだかどうか知っています。 [ナ形容詞・基本形・  だ]
 h. この部屋が静かだったかどうか知っています。 [ナ形容詞・ タ形・  だ]
 i. この部屋が静かであるかどうか知っています。 [ナ形容詞・基本形・である]
 j. この部屋が静かであったかどうか知っています。 [ナ形容詞・ タ形・である]
 m. この部屋が静かかどうか知っています。 [ナ形容詞・語幹形]
 n. あの人がフランス人だかどうか知っています。 [判定詞・基本形・  だ]
 o. あの人がフランス人だったかどうか知っています。 [判定詞・ タ形・  だ]
 p. あの人がフランス人であるかどうか知っています。 [判定詞・基本形・である]
 q. あの人がフランス人であったかどうか知っています。 [判定詞・ タ形・である]
 t. あの人がフランス人かどうか知っています。 [名詞]
 u. 今日、休講なのだかどうか知っています。 [助動詞・基本形・  だ]
 v. 今日、休講なのだったかどうか知っています。 [助動詞・ タ形・  だ]

(28) 埋め込まれた疑問語疑問文のテスト:
 a. いつ彼が来るか知っています。 [動詞・基本形]
 b. いつ彼が来たか知っています。 [動詞・ タ形]
 e. どの本が一番高いか知っています。 [イ形容詞・基本形]
 f. どの本が一番高かったか知っています。 [イ形容詞・ タ形]
 g. どこの部屋が静かだか知っています。 [ナ形容詞・基本形・  だ]
 h. どこの部屋が静かだったか知っています。 [ナ形容詞・ タ形・  だ]
 i. どこの部屋が静かであるか知っています。 [ナ形容詞・基本形・である]
 j. どこの部屋が静かであったか知っています。 [ナ形容詞・タ形・である]
 m. どこの部屋が静かか知っています。 [ナ形容詞・語幹形]
 n. どの人がフランス人だか知っています。 [判定詞・基本形・  だ]
 o. どの人がフランス人だったか知っています。 [判定詞・ タ形・  だ]
 p. どの人がフランス人であるか知っています。 [判定詞・基本形・である]
 q. どの人がフランス人であったか知っています。 [判定詞・タ形・である]
 t. どの人がフランス人か知っています。 [名詞]
 u. 何時間目が休講なのだか知っています。 [助動詞・基本形・  だ]
 v. 何時間目が休講なのだったか知っています。 [助動詞・ タ形・  だ]

このように、埋め込まれた場合には、節の最後の要素が何であっても容認不可能にはならない。この結果ももりこんで generalization をすると、次のようになる。

(29) Generalization 6:
「か」のある直接疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、節末要素が「だ/である」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、節末要素が「であった」の場合は現代日本語としては、かなり不自然となる。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、節末要素が「だ」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、普通体の場合は自問型としてしか容認できない。)
「か」のない直接疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、節末要素が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、節末要素が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、節末要素が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
間接疑問文では、「か」が常に必要であるが、節末要素が何であっても容認可能となる。
5.まとめ

 以上のように、観察の結果えられたgeneralizationを文法全体の観点から吟味しなおすことによって、初め気がつかなかった例文をいろいろ掘り起こすことができる。見つけた例文を単に分類するのではなく、例文をきっかけとして、いわば表のようなものを念頭におき、次々に空欄の部分に相当する例文を作成して結果を観察していくからである。たった2つの例文から出発したのに、Generalization 1からGeneralization 6まで進む間に、視野に入っている例文の数が爆発的に多くなっていった。

(12) Generalization 1:
(2)のような疑問文の場合、文末が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(17) Generalization 2:
(i) (2)のような疑問文で疑問語をふくんでいない場合、文末が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) (2)のような疑問文で疑問語をふくんでいる場合、文末が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
(18) Generalization 3:
(i) (2)のような真偽疑問文の場合、文末が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) (2)のような疑問語疑問文の場合、文末が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
(23) Generalization 4:
「か」のない疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、文末が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、文末が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
(26) Generalization 5:
「か」のある疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、文末が「だ/である」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「であった」の場合は現代日本語としては、かなり不自然となる。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、文末が「だ」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、普通体の場合は自問型としてしか容認できない。)
「か」のない疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、文末が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、文末が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、文末が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
(29) Generalization 6:
「か」のある直接疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、節末要素が「だ/である」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、節末要素が「であった」の場合は現代日本語としては、かなり不自然となる。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、節末要素が「だ」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、普通体の場合は自問型としてしか容認できない。)
「か」のない直接疑問文では、
(i) 真偽疑問文の場合、節末要素が「だ/である/であった/です」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。(ただし、節末要素が「です」の場合は語彙差・個人差が大きい。)
(ii) 疑問語疑問文の場合、節末要素が「である/であった」なら容認不可能となり、そうでなければ容認可能となる。
間接疑問文では、「か」が常に必要であるが、節末要素が何であっても容認可能となる。
Generalization 6は、かなり長くなってしまっているが、日本語の疑問文の文末形式について、今のところわかったことが表現されており、generalization としての最低条件である(5)の2点も満たしている。もちろん、今後、新たな盲点が見つかる可能性もあるが、その時点でまた改良していけばよい。

6.generalizationの先にあるもの

 Generalization 6のような形で整理できると、言語現象についての理解は初めとくらべてずいぶん深まっていることになるが、それで終わりではない。そもそもの問題提起は(3)のようなものであったことを思い出してほしい。

(3) 問題提起:
  (2)のような疑問文の場合、なぜ(2a)は容認可能なのに(2b)は容認不可能なのか。

Generalization 6のように整理ができた現在でも、(3)には答えていないままである。generalizationの形にまとめるということは重要なことであるが、(3)の問題提起から見ると、これは準備段階にすぎない。ある程度、generalizationがまとまったところから、あらためて(3)の問題の追求が始まるのである。
 しかし、まず初めに問わなければならないのが、実は「この問題は答えることが可能な問題なのか。」ということである。ことばの世界の「謎」の中には、「なぜ」と問いかけても答えがないものがたくさんある。たとえば、日本語でネコと呼ぶ生き物のことを英語ではなぜcatと呼ぶのか、昔の日本語では「あらたしい」と言っていたのに現代の日本語ではなぜ「あたらしい」になったのか、などの「謎」には答えが存在しない可能性が高い。理由なく起きた現象に対して「なぜ」と問うても仕方がない。
 もちろん、ことばについて「なぜ」と問うべきでないと言うつもりはない。ことばの世界の中には、きちんとした理由があって起こっている事象も存在していると考えている。では、どのようにして、答えられる問題と答えられない問題を見分ければいいのか。それは、また、稿をあらためて。。。