セッカクは、従来、もっぱら(1)のような連用修飾用法について述べられてきました。
(1) 連用修飾用法
a. せっかくチャンスがあるのに、どうしてやらないの。
b. せっかくドアを開けていたのに、母が閉めてしまった。
渡辺(2001)は、セッカクは、基本的に(2)の文型で使われると述べている。
(2) a. せっかくPなのにQでない [渡辺(2001): p.29(T)]
b. せっかくPだからQしよう [渡辺(2001): p.29(U)]
「P」には、話し手にとって価値があると考えられている事実/状態/出来事が入り、「Q」には、「P」に伴って実現することが期待される事実/状態/出来事が入ります。 これに対して、セッカクには(3)のような連体修飾用法もある。渡辺(2001)においても、セッカクに連体修飾用法があることは言及されているが、その用法については、連用修飾用法に準ずるとしか述べられていない。しかし、(1a)と(3a)は言い換えが可能だが、(1b)と(3b)は言い換えが不可能である。
(3) 連体修飾用法
a.せっかくのチャンスなのに、どうしてやらないの。
b.*せっかくのドアなのに、母が閉めてしまった。
本論文では、セッカクが係る名詞を「主名詞」と呼び、連用修飾用法と同じ場面で連体修飾用法が使えるためには、主名詞にどのような制約があるのかを考察した。
渡辺(2001)が述べた連用修飾用法の場合と同様、連体修飾用法の場合も、主名詞は、話し手にとって価値があると評価されている事実/状態/出来事を述べる名詞でなければならない。
(4) a. せっかく僕がプレゼントをあげたのに、彼女は喜ばなかった。
b.せっかくのプレゼントを、彼女は喜ばなかった。
(5) a. せっかくゴミを捨てたのに、回収されなかった。
b. *せっかくのゴミなのに、回収されなかった。
(6) a. せっかく趣味でゴミを集めていたのに、母が捨ててしまった。
b. ?せっかくのゴミを、母が捨ててしまった。
渡辺(2001)の連用修飾用法の分析の延長だけでは説明できない側面もある。次のように、主名詞が「価値」のあるものであっても、その主名詞が指している対象が存在していない場合、あるいは主名詞の表わす事実/状態/出来事の実現が確定していない場合は、セッカクの連体修飾用法が容認されないのである。
(7) a. せっかく雑誌が置いてあるのだから、読めばいいのに。
b. せっかくの雑誌なのだから、読めばいいのに。
(8) a. せっかく雑誌を担当することになったのだから、自覚を持て。
b. *せっかくの雑誌なのだから、自覚を持て。
(9)a.せっかく逆上がりができるのに、どうしてできない振りをするの。
b.*せっかくの逆上がりなのに、どうしてできない振りをするの。
さらに、主名詞の現場性が高ければ、セッカクノNは容認される。
(10) a. せっかくプリンが今日の給食のデザートだったのに僕は残してしまった。
b. せっかくのプリンなのに、僕は残してしまった。
(11) a. せっかくプリンが今日の給食のデザートだったのに僕は欠席してしまった。
b. ??せっかくのプリンなのに、僕は欠席してしまった。
(12) a. せっかくプリンが今日の給食のデザートだったのに太郎は欠席してしまった。
b. ?せっかくのプリンなのに、太郎は欠席してしまった。
さらに、主名詞の指示対象が存在していても、主名詞から連用修飾用法における動詞が容易に想定できない場合には、セッカクの連体修飾用法が容認されない。
(13) a. せっかく写真を撮ったのに、焼き増しするのを忘れていた。
b. せっかくの写真なのに、焼き増しするのを忘れていた。
(14) a. せっかく写真を切り取ったのに、ずっと放置していた。
b. *せっかくの写真なのに、ずっと放置していた。
(15) a. せっかく花が咲いたのに、すぐに枯らしてしまった。
b. せっかくの花なのに、すぐに枯らしてしまった。
(16) a. せっかく花を描いたのに、誰にも見てもらえなかった。
b. *せっかくの花なのに、誰にも見てもらえなかった。
このように、セッカクの連体修飾用法が容認されるためには、主名詞が (i) 価値のあるものであり、(ii) 指示対象が存在し、(iii) 対応する連用修飾用法の動詞が容易に想定できるものであることが必要である。
渡辺実 (2001)『さすが!日本語』:24-42. 東京:筑摩書房.