従来の研究(寺村(1984)、益岡・田窪(1992))では、ハズガナイ(注1) はハズダの否定であるとされ、ハズデハナイと一緒に扱われていたが、この論文では、ハズガナイは、ハズダの否定というよりは、むしろハズガナイでひとかたまりの助動詞であるということを主張する。
ハズガナイとハズデハナイには明らかに意味の違いがある。
(1) a. 犬が木に登るはずがない
b. ??犬が木に登るはずではない
(1b)は以下のような状況で考えれば許容できる文となる。
(2) 芝居の練習中、台本には猿が木に登るとあるのに、何を思ったか犬役の者が木に登り始めた。舞台の監督が嘆くように言う。「犬が木に登るはずではない」
ハズガナイは「犬が木に登る」のはあり得ないということを、ハズデハナイは「犬が木に登る」予定ではない、ということを示している。
ハズダがダロウと共起する際は、ハズダロウという語順になり、通常は、ダロウの後にハズダが続くことはない。これはハズデハナイの場合にも同様である。
(3) a. 太郎は来るはずだろう。
b. *太郎は来るだろうはずだ。
(4) *太郎は来るだろうはずではない。
これに対して、ハズガナイはダロウの後に続くことが可能である。
(5) 太郎は来るだろうはずがない。
文中に否定を表すナイが含まれているように見えるにもかかわらず、 文否定と呼応する語である「しか」が使えない場合がある。
(6) a. *太郎はリンゴしか食べるかもしれない。
b. *太郎はリンしか食べなければならない。
これは、カモシレナイやナケレバナラナイがひとかたまりの助動詞として働いているため、 「しか」が文否定のナイによって認可されていないと考えることができる。
ハズガナイもまた、「しか」との共起が難しい。
(7) a. 太郎はりんごしか食べないはずだ。
b. ??太郎はりんごしか食べるはずがない。
これも、ハズガナイの「ナイ」が文否定ではないことを示唆している。 さらに、ハズガナイは「あまり」とも共起しにくいが、「けっして」とは問題なく共起できる。
(8) a. 太郎はあまりりんごを食べないはずだ。
b. ??太郎はあまりりんごを食べるはずがない。
(9) a. 太郎はけっしてリンゴを食べないはずだ。
b. 太郎はけっしてリンゴを食べるはずがない。
このことは、ハズガナイの意味から、無理なく説明することができる。
<類例> ワケダ・ワケデハナイ・ワケガナイ
コトダ・コトデハナイ・コトハナイ
寺村秀夫(1984) 『日本語のシンタクスと意味 U』 くろしお出版
益岡隆志・田窪行則(1992)『基礎日本語文法』 くろしお出版
(注1) 「ハズハナイ」も「ハズガナイ」と同じであるが、以下では「ハズガナイ」で代表させることにする。