本論文では、副詞ナカナカの意味と用法を考察する。以下に述べるように、先行研究においては、否定文における場合と肯定文における場合の2つの用法が論じられてきたが、本論文では、肯定文における用法に、これまで指摘されてこなかった別の用法があるということを新しく指摘する。
まず、ナカナカには、(1)のように否定文で使われる場合がある。
(1) a. 待っているのになかなか来ない。 [服部1994: p.79, (3)]
b. 花子は、次の一手をなかなか決断できない。
c. 電車がなかなか来ない。
服部(1994)では、これを「期待される事象Pの成立を容易に見ることができないことを表す用法」とし、丁(2009)では「話し手の予想や期待と実状を比べ,話し手が願う事態・状況の実現・実行が容易でない場合を表す」と分析している。
本論文でも、「ナカナカXナイ」のXが、話し手が期待、予想している事柄を表すという点には同意するが、さらに、「時間」という視点を加えて(2)のように記述する。
(2) 「ナカナカXナイ」は、ある事柄Xが実行されているであろうと期待・予想した時間が訪れても、その目標や結果まで至っていない状態を表す。
これに対して、ナカナカが(3)のように肯定文で使われる場合もある。
(3) a. おまえもなかなか頑張っているじゃないか。
b. 太郎の彼女はなかなかかわいい。
c. なかなかきれいな朝焼けを見ることができた。
この用法については、服部(1994)では、「広義の程度性を有する述語Pを限定して、見くびれない(軽く評価して済ませられない)程度にPであるということを表す用法である。」、丁(2009)では、「ある事態の状態が含む程度性が普通以上であること,予想や期待を上回ることを表す。ある行為の結果としての状態の完成度の高さに対する評価を表し,予想・期待以上にいい場合はプラス評価につながり,予想・期待以上に悪い場合はマイナス評価につながることを表し,程度が著しいことを表す」とされている。つまり、対象に対して、それほどでもないだろうと見くびって評価を下していたが、思いがけず、かなり良かった、という意味を持つのである。
(3)のような例の場合には、予想よりは結果が上回っているものの、手放しでほめることはできないというニュアンスがつきまとう。通常、「非の打ちどころがないほどおいしい」と感じているものを「なかなかおいしい」と表現することはない。何らかの「見くびった評価」があるからこそ、完璧でなくても「なかなか」というほめ言葉になるのである。しかし、本論文では、特定の条件が満たされている状況では、何も文句をつけるところのない、完璧な出来に対してナカナカが用いられることがあるということを指摘した。
(4) 状況:プロ野球の1回裏。今年一番期待されているピッチャーが、見事な投球で三者三振に打ち取った。
「なかなかいいピッチングですねえ!」
(5) 状況:スキーの大回転の最初の関門のあたり。まったく無名の新人が、無駄のないフォームと見事なターンで、新記録で関門を通過する。
「なかなかいい滑りですよ。」
(6) 状況:連続テレビドラマの初回。みるみる引き込まれ、あっという間に「つづく」になる。次週の展開が非常に気になる状況。
「このドラマ、なかなかおもしろいね。」
ここで注目されるのは、(4)-(6)のような用法が許されるのは、スポーツの試合やドラマなど、評価が確定するタイミングが最後にくることが決まっている事柄の序盤においてのみである、という点である。同様の表現であっても、それぞれ、試合や最終回の放送が終わった後の発言であるならば、(3)と同様、「完璧な出来ではなかったけれど、期待はかなり上回った」という意味にしかならない。
(7) a. なかなかいいピッチングでしたね。
b. なかなかいい滑りでしたね。
c. このドラマ、なかなかおもしろかったね。
この用法が観察される場面は比較的限定されているが、(4)-(6)のナカナカは、確実に(3)とは異なった意味を持っており、これは、今まで記述されてきていない用法である。
丁允英(2009)「副詞『なかなか』の意味・用法─日・韓の翻訳書を用いて─」『早稲田大学教育学部 学術研究(国語・国文学編)』57: 13-28
服部匡(1994)「副詞『なかなか』の意味用法の分析」『言語学研究』13: 79-90